★ますたぁ日記(一語一会)

ますたぁ@BAYSIDE BREATHがつれづれなるままに書き綴る日記のページ。

ちょっと気になる、再放送のセリフの途切れ(昔に書いたもの)

今日の日付:2006/10/06
今日の天気:曇り
今日の気温:19-24度

今日の音楽:
FINAL BEST / LINDBERG(リンドバーグ)

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今日の話題をメモすることをやめてから、日記の書き込みが停滞しています。再び、スランプが始まってしまった状態です(^^;)どうして書けないんだろう? 以前はあまり深く考えることなく、頭に思っていたことをすらすらと書けていたと思うのですが?

そこで、ホームページを公開し始めた頃にどんな文章を書いていたのか、あらためて見てみることにしました。パソコンを初めて以来、作成したデータはほとんど保存しているので……といいつつ、実際にはすぐに見つからなくて「ええ! ひょっとしてうっかり処分してしまった?!」と焦りましたが、でもデータを保存してあったMO(エムオー。古い?)を発見。よかったよかった(^ー^)

ということで、とりあえず見つけたのが以下の文章。読んでみてびっくり(^^;)上手いかどうか、おもしろいかどうかはともかく、こういう文章を書いていた自分が過去にいたんだなぁという意味で。

……トシをとったということなのでしょうか?(苦笑)

ちなみに、1996〜7年頃に公開したもの。あ、ひょっとしてホムペを開設してからけっこうな年月が過ぎている?


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●ちょっと気になる、再放送のセリフの途切れ

昔やっていたアニメやドラマが再放送されることがあります。それを見ていて時々セリフが途切れることに気づいたりしませんか?私は、セリフが途切れるのは、フィルムが古くて傷んでいるせいだとばかり思っていました。

ところがあるとき、友人の話を聞いて、私の考えが違っていることがわかりました。友人曰く、「あれは差別用語を消したせい」だそうです。このことを聞いて以来、私はいっそうセリフの途切れに敏感になりました。確かに途切れる瞬間というのは、人をののしったり、あるいは何らかの障害をもつ人を指していう場面などに多いようです。

この友人の話には続きがあります。「差別用語を使うのは当然許されないことだ。けれども、音声を消してそれでおしまいっていうのは、疑問だな。消す作業をするのなら、そのときに(違う声でもいいから)代わりのセリフを入れるべきだ。音が途切れると不自然で耳につくし、また、話の内容がわからないようになる」

念のためにはっきりさせておきますが、差別用語は認められるものではない、というのは当然です。しかし「ヤバイところは消すだけで十分」という放送局の姿勢には大いに疑問を感じます。

再放送をする以上は置き換えの言葉をきちんと入れ、ちゃんとした作品を放送するべきでしょう。逆に、置き換えの言葉も入れられないほどの差別的な作品であるならば、放送を控えるべきでしょう。セリフをカットするだけで済ませている放送局の態度は、「内容は関係ない。とにかく消しておけばいい」という安易な姿勢に思われてなりません。

また作り手側の、差別用語に対する認識の甘さも気になるところです。例えば去年作られた映画の再放送がTVで放映されていましたが、その中でもセリフの途切れがあったのには驚きました。最近の作品であるにもかかわわらず、です。作った時点では差別用語を使っていることに気がつかず、映画の上映後にクレームがついて、カットしたということなのでしょうが・・・・。

放送局をはじめ、映像の送り手・作り手側は、もっと能動的に差別用語に取り組むべきではないでしょうか。クレームがついてから消すという、受動的(受け身的)な姿勢では、いつまでたっても「セリフの途切れ」が消えないように思われるのですが・・・・。